当たり前について考える

こんにちは、ショウエイです。

先週末、大学の友人の結婚披露宴に出席するために大阪へ行ってきました。

大学時代にお世話になった方や同期の友人とも久しぶりに再会し、大学時代を懐かしく感じました。

お世話になった方々へ感謝を込めてとふたりの思いを込められた披露宴は和やかな雰囲気で、会場全体が幸せな空気に包まれてとてもいい場でした。

家族やお世話になっている方へ感謝の気持ちを伝えることは、普段はなかなか照れくさくてできないものです。

だからこそ、感謝の思いを伝えたときにはお互いにホッとした温かい気持ちになるのかもしれません。

きれいごとかもしれませんが、この感謝を伝える機会を増やすことができれば、いつもこのような温かい気持ちになれるのかなと思います。

どうしたら感謝を伝える機会が増やせるだろうと考えてみると、これまでに当たり前と思っていたことが本当に当たり前なのか考え直すようになりました。

12年前、東日本大震災を経験した時、電気・水道などが使えなくなりました。

その時に初めて、スイッチを押せば電気がついたり、蛇口をひねれば水が出ることのありがたみを実感しました。

常にあると忘れがちですが、このように当たり前を失った時にはじめて当たり前のありがたさを実感します。

自分の周りには家族がいて、友人がいて、応援してくださる方がいます。

自分にとっては当たり前の生活ですが、その背景にはたくさんの人のおかげさまで成り立っています。

その方々の何気ない気遣い(おかげさま)の頂点に今の自分の生活があるのだと思うと、ありがたいなぁと感じることができ、自然と感謝の気持ちが湧きてきます。

帰ったらまずはありがとうと伝えてみよう。そんなことを改めて感じた大阪でした。

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