こんにちは、ショウエイです。
大学で仏教を学び始めたころ、仏教やお寺ってどんなイメージ?と質問を受けました。
私自身、一般家庭で育ったため仏教やお寺と聞いたときには法事やお葬式など亡くなった後にお世話になる場所としてのイメージがありました。
しかし、お釈迦さん誕生の話から始まるたくさんの仏教の話は、どれも生きている間にどう生きるかと問われているように感じます。
本来いまを生きるための教えでも生きることについて考えることは、死と向き合うことにもなるので法事やお葬式のイメージは自然なことなのかもしれません。
じゃあ亡くなった後はどうなるんだろう。
こんな疑問を持ちました。
自分自身亡くなったことはないし、亡くなった人に死後ってどんな感じですか?と聞くこともできません。
仏教の教え「四苦八苦」のなかに「愛別離苦」があるように愛する人との別れはつらく苦しいものです。
亡くなれば終わる、全てが無になってしまうお別れを意味してる?
なんて考えたりします。
でも、これまで通りの会話をすることは難しいですが、その人と過ごした時間は確かにあったり、
そして、「こんな時、おじいちゃんならきっとこうするだろうな」とか、
「あの人ならこうだよね」とか会話の中に出てきたりもします。
その人と過ごした時間が今の自分の一部であるならば、
姿としては亡くなっていても自分のなかに生きていて、
生き続けているんじゃないかと思います。
お墓や仏壇に手を合わせたりするとどこか繋がっている感覚になるのはそういうことなのかなと思います。
ピクサー映画『リメンバー・ミー』では、死後、死者の国というものがあり、その世界で楽しく暮らしている様子が描かれています。
作品はメキシコの「死者の日」という文化を題材にしたものなので、宗教的・文化的な部分で異なる点があると思いますが、日本のお盆やお彼岸に近いものを感じます。
日本と違う文化でもこのような文化はあるんだなぁ、やっぱり生きているのかなぁと勉強になったことを覚えています。
いつかきっと再会できる。
じゃあまた会うまでにいまをどう生きるか。
それを考えるのが仏教なんだなぁ。
なかなか難しい世界です。