ご縁やつながりを持った関係を自分ごとで考える
こんにちは、しょうえいです。
お葬式、法事、ご祈祷――
日々、いろいろなご縁をいただく中で、ふと考えることがあります。
自分は本当に、相手と同じ気持ちで手を合わせているだろうか。
予定が詰まっていて、頭の中が整理できていなかったり、
疲れがたまって、思うように丁寧に動けなかったり。
やりたいことが進まないまま一日が終わってしまうこともあります。
正直なところ、そんな日が少なくありません。
できる限り「自分ごと」として向き合おうと努めていますが、
あとになって「もう少し心を込められたのでは」と思うこともあります。
「自分ごと」として寄り添うことの大切さ
人のことを「自分ごと」として受け止めるのは、言葉ほど簡単ではないです。
けれど、もし自分が何か困っていたときに、
- 「大丈夫か?」とすぐに顔を見せてくれる人
- 解決策を一緒に考えてくれる人
- 最後までそばにいてくれる人
こんな人がいたら、それだけで心がほどけていくような気がします。そういう存在は、本当にありがたいものです。
だからこそ、自分もまた、ご縁をいただいた方に「自分ごととして寄り添える人」でありたいと思います。
できることは小さくても、その姿勢だけは忘れずにいたい。
マザー・テレサの言葉に学ぶ「関心と思いやり」
マザー・テレサの言葉を思い出します。
「愛の反対は憎しみではなく、無関心です。」
(The opposite of love is not hate, but indifference.)
彼女は、人が最も苦しむのは「飢え」や「病気」ではなく、「誰からも気にかけられないこと」だといいます。
無関心というのは、相手を自分のなかに存在しないものとして扱うこと。
それは、心の中で誰かを消してしまうような冷たさだと感じます。
逆に言えば、「関心を向ける」「思いやる」というのは、
誰かの存在をきちんと受け止めることなのだと思います。
仏教でいう「縁起」も、そんなつながりの教えなのかもしれません。
人は誰かと関わり、関わられる中でしか、生きていけない。
だからこそ、「気にかける」という行為自体が、すでに愛のかたちなんだろうなと感じます。
結びに|関心を持ち、関わり続けるということ
世の中にはいろんな人がいます。気が合う人もいれば、合わない人もいる。
それでも、誰かが自分のことを思い出してくれるだけで、少しだけ心があたたかくなるように感じます。
たとえ一瞬でも、
「相手の立場に立つ」
「相手の気持ちを想像してみる」
そんな時間を持てたなら、それだけで十分なんだと思います。
今日も、そんな心で手を合わせていきたいです。
