こんにちは、ショウエイです。
先日、お寺でご法事を行った時にお斎の場をお寺でやりたいとお施主さんからのお話がありました。
コロナ禍に入ってから食事の場が減り、お寺で法要を行っても、お弁当を用意して持ち帰っていただくようになっていました。
住職となってから初めてのお話で、まだこういったことは行いませんか?とお話があったのですが、ぜひ使ってくださいとお答えしてお寺でしていただくことにしました。
法事の前日には生花やお供物をお供えにお越しいただき、翌日に法要が終われば、皆さんでお斎の準備をして食事をしました。
そこでは、故人さんとの思い出話や近況を話したりと、ひと手間かけた空間がとても良い時間となりました。
コロナ禍に住職となった僕としても、檀家さんとこうした機会を持つことができたことは嬉しく思いました。
最近よく、「簡単に」や「効率化」という言葉を耳にします。
私たちが生きている現代社会は、スピードと効率化が良いとされることがあります。
スマートフォン一つでたくさんの情報を知ることができ、様々な業務を自動化する技術が存在する中で、何をするにも「手間」がかかるということは、あたかも「無駄」な時間のように捉えられているように感じます。
しかし、そんな手間をかける時間、無駄に思える時間こそが、実は大切な時間なのではないかと考えるようになりました。
つまり、そのモノごとに対する思いやりであったり、新たな発見や創造性を生み出す機会、そして人と人とのつながりを深める「縁」を育む時間ではないかと思いました。
「手間をかける時間」は、一見すると効率的でないかもしれません。何を大切に思うのか、何に時間をかけたいのかを考えることは、自分自身を深く理解し、自己の成長へとつながります。
それぞれの生活や業務において、効率化やスピードが求められるのは確かです。
しかし、それと同時に「手間をかける時間」を大切にすることも忘れてはいけないなぁと反省します。